NO・2
【医者に見放された人たちが愉気によって回復していく
津村 操法のひとつである「愉気」についてお聞かせください。

奈央 生きていけるかしらというくらい弱いからだの友人が妊娠したときでした。野口先生の操法を受けて、丈夫な女の子を年子で産んだんです。お腹にいるときからやさしく愉気された子たちで、本当にいい子に育ちました。ひとりは自分から進んで整体協会の本部で勉強して、今度は逆に弱いお母さんに愉気をしてあげる。もうひとりはお母さんに似て、料理や家事が大好きで、そっちの面でよく手助けをするんです。妊娠中に野口先生が「今にお子さんがお母さんを助けてくれますよ」とおっしゃったことが、その通りになったと、感謝していました。お腹にいるときから野口先生の操法を受けて愉気をされ、繊細に愛された子はやはり違うなあと思いましたね。

津村 野口先生の「育児の本」に、生まれた瞬間に祝福されて産湯を浴びると、その記憶は一生残るということが書かれてますね。

奈央 その通りだと思います。胎児のころから愉気されていたらなおさらですね。愉気って素晴らしいですよね。自分でできるし、人にもやってあげられるし……。交通事故で頭にひびが入った四歳の子がいたんです。まだ整体を勉強して間もなかったけれど、親戚のふりして病院に行って、皆で交替で愉気したら、一週間後、頭のなかの内出血が、ものすごい鼻血になって出たんです。頭のひびも全部塞がりました。その後、なんの後遺症もなく育って、立派に成人しましたよ。


昇平 僕が中学校の教師をしていた当時、子ども同士の遊びで目に砂が入った子がいたんです。すごい充血だったので、日本で三本の指に入るという先生に診てもらった。瞳孔を司る筋が切れていて、「これはいちど切れたら、どんな方法でも治らない」と言うんです。ほかを回っても同じ診断でした。僕は可能性にかけて、その子のお母さんに愉気をするように伝えました。お母さんはわけも分からないまま、毎日手を当てました。僕も奈央も毎日通って愉気をしました。

奈央 私の兄が小学生のとき片方の目を失明した体験があったので、その子を失明させてはいけないと、人ごととは思えず必死でした。そのときは整体を勉強して一年ぐらいだったけれど、手から愛情を込めて主人と愉気したんです。お母さんは寝ずに真剣に愉気をしたそうで、一週間したら、ドロドロの砂まじりの涙がドローッと出たと言うんです。

昇平 その後で検査に行ったら、「筋肉はくっついています」と。「もうあきらめてください」と言われるほどの状態だったのが。

奈央 こんなこともありました。知り合いの幼稚園の子ですが、骨盤の骨頭が壊死を起こし、コルセットをしてひどい状態でした。私も愉気をしましたけれど、お母さんに「ご自分の延髄から背骨に気を通して、手から気持ちを込めて愉気してください」と言ったんです。とにかくお母さんは夢中になって実行して、半年たったら壊死を起こした部分が再生してたんです。

昇平 若いときは技術や理論がどうのこうのじゃなく、素朴で単純で一生懸命だったし、回復したときの感激はすごいものでしたよ。

奈央 つい最近のことでは、お隣りの村のお百姓さんの例があります。娘さんがコンクリートの側溝に落ちて、頭骸骨にひびが入ったんですが、お父さんが愉気して三週間で全部つながったんですよ。

昇平 あの人はパワーがあるし、一生懸命だったからね。

津村 愉気のびっくりするような力について、野口先生はどういうふうに言っていたのかな。神さまのおかげではなくて、あくまでからだ本来の力であると
?

昇平 そこははっきりしていて、たとえば、愉気の力はキリストなり誰なり聖人・聖者の独占にしてはいけない。特別の人の専売特許じゃない、誰にもその力がある、という意味のことを言われつづけていました。

奈央 世の中にこんなにも多くの病人がいるたいへんな時代なんですから、本当に皆で愉気してほしい。具合が悪かったら、一生懸命手を当ててほしい。お金がかからないし、こうしたシンプルな世界に立ち返ることが大事な時期ではないでしょうか。


【自分のからだのリズムを知ることが基本】
津村 愉気や操法によって回復したとして、その効果だけじゃはかれない面もあるでしょうね。

昇平 ええ。この間から奈央と話していたんです。結局その人の生活態度、心のもち方に起因して症状が現れるわけですね。ここを治してほしいという訴えに対してお手伝いして症状がとれる。それで、その人が病いをもたらしたそれまでの自分を乗り越えた世界に発展していけば、意味があると思うんです。そうでない場合は、果たして手を出すことがいいことかどうか、最近はすごく考えますね。手助けしちゃいけないこともあるんじゃないかと。

津村 その人の症状は当人の心身の情報だと。そしてそれは、深いところからのメッセージですからね。

奈央 そう、深いところからのね。難しい部分だけれど、そこをちゃんと心得なければいけないなと思って。


津村 「治す」と「癒す」の違いというか。

昇平 ええ、「癒す」というのは、はっきりとプラスの方向に向かっていくけれど、「治す」というのは、とりあえず症状を抑えるだけなのではないでしょうか……。

津村 元に戻すというかね(笑)。

昇平 その人が変わらないと、また同じことを繰り返す。このあたりはとくに現代医学について、いちばん感じるところです。だから、西式健康法を学ばれた甲田光雄医師の、心身とも徹底的に生き方を変えなさいというやり方なんかは魅力ですね。この方は少食・断食療法で、ずいぶん難病治療に効果をあげている大阪の医師なんです。甲田先生の著書にも書いてありますが、昔は二週問ぐらいの断食はけっこう平気だったのに、最近は一週間の断食もろくにできない人が多いそうです。かつて僕も二週間の断食をして、平気でしたが……。


津村 断食療法を中心に据えた甲田医院には、「とにかく治してほしい」と、たくさんのがん患者がやって来る。でも、かなりの少食メニューだから、八割がたは続かずに脱落すると、甲田先生は言うんですね。

昇平 断食をきっかけに意識を変え、実行してこそ、からだと心がピッタリひとつになる世界に入っていくんでしょうけれど。

奈央 野口先生もいろいろな人のからだをみて、「食べすぎ、食べすぎ」と言って、からだが敏感になれば自ずから少食になると強調していらっしゃいました。


昇平 先生は一日に一食か二食で、本当に少しだけ食べられていたようです。

奈央 やはり現代の人は、愉気と活元運動するにしても、もっと意識が変わるところまで進まなければ…。

津村 中国の外気治療(気功師が患者に、手掌などから気を放射する治療法)についていえば、外気で治しても根性は全然よくならないと言うからね(笑)。どんどん依存が高じていく。


奈央 いつまでも他動的な操法を受けている人がいますよ。本当は操法のなかで起こる自分のからだのリズムをつかまなくてはいけないのに。その人のからだが生きよう、もとの健康に戻ろうとする力があることを感じとることです。ある一点・一カ所を弛めることで、フワッとその人の本来あるからだのリズムが出てくるんですよね。ですから、あとはそんなに操法を受けなくても、自分のからだを知り、自律的に自分本来のリズムを保っていけばいいのに、また自分で調子をくずしてしまって操法を受けに行く、そういう繰り返しをしてしまう人が多いですね。

【心とからだはひとつ/操法は潜在意識への働きかけ】
津村 野口整体の体系は、ある意味で日本の民間医学の王道を吸収していろんなものをとり込みながら、それらをすべて自分の経験を通じてまとめあげていったと思うんですね。その形成のプロセスは、ご本人も含めて誰も書いていない。歴史的にも非常に興味深いところなんですけれどね。こんどの企画の構成を検討していくうち、どうしても野口整体がひとつの「気の海」になっていることに気づいたんですね。そこにいろんなものが流れ込んで、またそこからいろいろと出ていく。そのあたりを知りたいんですが…。

昇平 野口先生には十代に空白の時期があるんです。

奈央 先生は十代のころ、伊勢出身の松本道別という方に学んだり、活元運動の原型と言われる自動法をやっていた北海道の桑田欣児という方に習っていたと聞いています。


昇平 そう、たいへんな修行の期間があったと聞いています。

奈央 御岳でずいぶん修行されたみたいです。野口先生の偉大なところは、からだを通して心の方向を変えることをなさったことだと思います。潜在意識への働きかけということです。からだと心をつないでひとつにするものという意味での潜在意識ですね。人の心の奥を変えるのは、自分を含めて本当にたいへんなことですから。

昇平 そう、からだと心をトータルにひとつのものと考え、そこに至る技術体系を創りあげた先生のような方は、世界的に稀な存在ではないでしょうか。

奈央 今、日本やアメリカをはじめ世界で心の問題が出てきていますね。野口先生が何十年も前におっしゃっていたことに、世界が気づくようになったなと思います。人を動かす本当の元を先生は見ていらした。その深さはとてつもなく、はかりしれないですね。


津村 野口先生の西洋的な教養はどうだったんですか。たとえば、心理学でいえばユングを知らないはずはないという感じの文章とか、いろいろありますけれど……。

昇平 当然、知ってらしたでしょうね。

津村 それをまた、全然知っているように見せないところがすごい。

昇平 キリストやデカルトの話もされていた。東洋だけでなく西洋文化からもものすごく刺激を与えられていたみたいですね。音楽では、まだ若いときにチェロのパブロ・カザルスを聴いて、「ライバルができた」と発奮されたそうです。

津村 集団で活元運動をやる活元会で指導するときの音楽もクラシックでしたね。

奈央 そう、先生はマーラーの四番です。考えてみると、野口先生はずいぶん前から音楽寮法をなさってたんだと思いますね。操法のときはいつも音楽があって、その音楽はその日の気候やご自分のリズムに応じて、三枚、四枚とレコードを選ぶんです。誰それの指揮のこの曲をこの順番でと指定して、一日の流れをつくっていた。慣れてきた研究生は、その順番と間合いが分かったようですね。そのあたりが分かると、整体の指導員になれたともいいます。

昇平 犬も何十匹と飼っていて、犬の散歩も研究生の役割だったですね。犬を散歩させて、犬の顔が行きと帰りで全然変わらないのでは意味がない。変わって当たり前なのだ、と言われてました。毎日散歩させても顔を変えられなかった研究生で、やめた人もいます。何年かたってその人にばったり会ったら、セールスマンをしていて活き活きしていたとか。いろいろな方がいます。

奈央 当時の研究生はたいへんだったようです。突然、夜の二時にバンと起こされて操法の勉強をさせられたり。きっと起こされた瞬間にバチッと目が覚めないようではダメなんですね。

昇平 感覚が猫や犬と同じように鋭敏でなくてはいけないと。

津村 先生の睡眠時間は少なかったんですか
?

奈央 二、三時間だとお聞きしました。

昇平 昔の内弟子の修行はもっとシビアだったようです。最初は薄い敷物の下に畳針や縫い針を置いて、足裏でどっちを向いているかを感じあてる。だんだん敷物を厚くしていき、十枚ぐらい重ねて針がどっちを向いているかと、徹底した訓練をしたらしい。感覚的な技術をすごく磨いた時代があったんですね。

奈央 からだのある一点を押していくと、それが全身に及んでいき整っていくんです。その一点を押さえるのは力じゃなくて、気なんですね。それに、相手と自分の呼吸のリズムが合えば、フワーッと影響を及ぼすんですよ。その一点を分かることがなかなかで……。

昇平 野口先生のお弟子さんで長年やってきた人に、からだを調整するすぐれた技術をもっている人はたくさんいると思いますよ。ただ、形に見えない心の面については後回しにされているのが現状ではないでしょうか。心や潜在意識の面に重点を置いている人は少ないように感じます。野口先生の講義は心の面、からだの面が半々でしたけれど。

津村 どんなテーマでも、その両方が流れていた?

奈央 そうですね。あるとき、とても優秀な野口先生のお弟子さんで、長年整体の指導をしている人が「操法は潜在意識への働きかけだということが、本当の意味でやっとここにきて分かりました」とおっしゃったんです。私も初めて野口先生から潜在意識という言葉を聞いたときは、まるで理解できなかったし、苦手でしたね。潜在意識については、野口先生のお弟子さんたちにとっても、いちばん難しいテーマだったと思います。

昇平 僕たちふたりも野口先生の教えによって「心とからだはひとつだ」ということを一応理解しているつもりでした。でも、実際には、彼女はからだのほうばかりやっていました。

奈央 からだに興味があったから、ものすこく面白かったんです。もちろん今現在も。


昇平 僕はついつい心のほうが先じゃないかと感じてしまう。それで二十五年たってだいたい二つが一致してきたところですね。

奈央 遅いんですけれど、私も二十五年たって、野口先生のおっしゃる潜在意識がいちばんのテーマになってきました。

昇平 改めてやっと心の重要性に気づいたようですね。からだの面では彼女なりにかなり研鑽を積んできたと思うので、いいところへきてると思います。

奈央 野口先生のあの深い、愛情に満ちた眼差しは何を語っていたのか、それは、からだとか意識の奥にある魂に呼びかけてくださったのだと思います。だからこんなにも私のなかに残っているのだと。潜在意識という言葉がずーっと引っかかっていて、理解が少しずつでも深いほうにいって、年を重ねてきた感じがします。これをテーマに、これから生きていきたいですね。

津村 心とからだ、本当にそれは切り離せないですね。いろいろうかがってきて、野口整体の「気の海」のプロセスは容易には知りえないけれども、ますますその重要性を感じました。今日はありがとうございました。
<別冊宝島220号「気でなおる本」(1995年刊)より転載

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